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一定期間更新がないため広告を表示しています 2012.05.27 Sunday
- - オムレツを作ろうとしたけどスクランブルエッグになってしまったのを許せる人になってくれるのを待つか、それとも100%失敗せずにオムレツが作れる人になるのを待つか。
俳
世界には、曖昧な概念を示す言葉がいくつもある。
たとえば、「ロック」。 音楽のいちジャンル、様式と思いきや、「ロックな生き様」「ロックを体現する」など、人生観(?)にまで及んでいるようだ。 俳句の「俳」もそれに似て、ジャンル、様式だけにとどまらない概念のようです。 人に非ずと書いて「俳」。 いちおうみんな人間なんですけど。 何だ「俳」って。 (短歌であれば形式のことを意味しているにすぎないのに) ふたたび「ロック」に戻って、 「rock'in on」 2010年7月号のリアム・ギャラガーのインタビュー記事から引用。 (最近のワースト・バンドを質問されて) ふむふむ。 もしかして固有名詞だけ変えたら、俳句にも適用可能?ちがうか。 「俳」って何なんだ。ほんとに。 「1%の俳句―一挙性・露呈性・写生」
「群像」2011年6月号群像新人文学賞評論部門受賞作、 「1%の俳句―一挙性・露呈性・写生(彌榮浩樹)」を読みました。 以下、私が整理(理解)した内容です。 (実際の本文とかなり表現が異なります) 筆者は、99%の一般大衆による俳句に対し、1%のプロフェッショナルの俳句こそが論じられるべき対象であり、論じられるべき俳句は、以下の3つの性質を備えていると主張します。 [1] 俳句に特徴的な性質*が一つの作品の中で全て実現されていること(一挙性)。 [2] 日本語の性質があらわになっていること(露呈性)。 [3] 1と2の条件をクリアして、平凡な現実のことがらを、価値ある言葉に変換できていること(写生)。 *「季語」「切れ」「五七五の3D構造」「和歌の切断という出自」「笑い」「俳言」「切れ字」「空間」「時間」。 少し感想を付すならば、[1]において、「季語」や「五七五」など、予めいくつかの前提条件(俳句の形式上の定義)を設定しておき、結果として良い作品に「切れ」「空間」「時間」がある、という論じ方の方がロジックとして明瞭だったかもしれません。また、この文章で指摘された露呈性とは、良い言語藝術であるための必須条件に過ぎないのではないでしょうか。 一般に評論の類にはいくつかの種類がありますが、この評論は「俳句とは何か」という問いに対する解説文であり、何かの問題を提起するタイプのものではないようです。論じられるべき俳句を語るのに、まもなく没後50年になる作家飯田蛇笏の「くろがねの秋の風鈴鳴りにけり」を何度も取り上げる必要があったのも、筆者が「普遍」を志向しているからなのでしょう。 梅雨明け
梅雨明けです。
空の端が橙色になり、夜の空が紫色になるとき、ジャズを聴いていると、その空があたかも夕方の空のようにも思われます。しかし、やはり雀の声は朝のものであり、眠気もまた朝のものなのでした。 no title
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