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カサビアン Ryan Mcginley 新撰21 (セレクション俳人プラス) Wolfgang Tillmans: Still Life
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2012.05.27 Sunday 
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雲と糸杉
・見ていて飽きないものに、雲と糸杉がある。雲がすきな人は多いかもしれない。かたちを定めずに、しかも白色の光を投げかけるそれは、ときに駆け、ときにとどまり、人を魅了する。

・糸杉に関しては、剪定が加えられていないものが好ましい。いくぶん荒んだ、火のイメージを喚起させるものがいい。水と土によってかたちづくられながら、火のような形をしている糸杉という存在が、とても興味深い。特に理由を探りたいとも思わない。ただただ興味深い。


2011.10.03 Monday 12:26
memo -
ラジオ
 9月28日、 Haiku Drive と題してゲリラ的にUstream配信を行いました。

ユリイカ10月号「現代俳句の新しい波」に掲載の新作10句の評を中心に、俳句についての質問回答、即興の席題句会などを収録。

生駒大祐、福田若之、藤田哲史の3人が出演しています。

なお、席題句会についてはtwitterで題を応募しました。
視聴者の感想も含めて#haiku_driveで閲覧可能ですので合わせてご覧下さい。


Happy Hallowe'en (2011)
Fujita Satoshi



2011.09.27 Tuesday 17:57
memo -
残像

外山さんの文章が、ときどき、うらやましい。韜晦の効き加減がちょうどよくて、言っていることがパンクで。クールな高柳重信って感じだ。

  詩歌梁山泊 俳句時評 外山一機「逃鼠の弁」→こちら

内容は、山口優夢句集『残像』について。二〇一〇年現在の「手軽な」生の感覚を、最も率直に俳句作品に結晶させているとのこと。

現代において「いま・ここ」にしかないものを表現するのは難しい。特に都市空間において言えることだが、現代の生活には「いま・ここ」にしかないモノが極端に少ない。日清のカップヌードルは世界中あるし、明日も明後日もセブンイレブンは24時間営業している。僕らの日常生活は、いつでもどこでもあるものばかりにあふれている。

それは逆に言えば、「いま・ここ」がいつでもどこでも体験できるかのように感じられる環境こそが、現代固有の特徴なのだ。『残像』の作品は、そんな現代の不安感をそっくり俳句形式に写している。伝統からも前衛からも切り離されて、「現代俳句」はよりいっそう孤独の陰を深めたようだ。



2011.09.25 Sunday 23:55
memo -
ロック好き
 
私の家族はべつだん音楽一家というわけでもないのですが、
むかし、父はよく車の中でクラシックをかけていました。
マーラーの「巨人」とか。

幼い私は自然とそれを聴かされていたわけですが、
あまりのヘビーローテーションっぷりと大音量っぷりに
クラシックが厭になってしまいました。

月日は流れ、
私が音楽を改めて自分の指向で聴きはじめるようになったのは、高校生のころ。
2000年も過ぎてからで、ちょうど勉強しながらラジオを聴くようになってからでした。

ラジオが情報源だったので、主に日本の楽曲を聴いてました。
なんだか、田舎っぽい!
初期のレミオロメンとか、聴いてましたね。
けど、だんだん音が洗練されていったのが物足りなくなって、
聴くのやめちゃって、
上京してからやっと(2000年代後半)
ロックンロール・リバイバルと呼ばれるのを聴きはじめて。

んで、最終到着地としてリバティーンズを聴いたあと、
原点回帰というべきビートルズに。

ビートルズは以前からちょいちょい聴いていたわけですが
バディ=ホリーあたりも聴きはじめ、
点ではなく、線でそのジャンルを捉えはじめた今日このごろ。

似たものを聴き比べるのも愉しいものです。



2011.09.20 Tuesday 12:39
memo -
 
 世界には、<惜しい本>というものが存在する。

 それは、内容がもの凄くいいのに、外見がメタクソにかっこ悪い本である。

 断じて「かっこ悪い本は読まない」という訳ではない。読んでみて、「ううん、惜しい!」なのだ。どうせなら、かっこいい本だったらばもっとよかったのに、と思う。内容だけ読みたいのなら、電子書籍でいっこうに構わないのだ。紙の本を一つのモノとしていとおしみたい。とはいえ、やたらめったら装丁を凝ればいいのか、といえば、そうでもない。

 そんなわがままな私の理想は、例えば、いつかどこかの図書館で複写をお願いした19世紀の詩集。

 先に言っておくと、その詩集、別段、天金だとか、頁が手で彩色されているというわけではなく、むしろ地味な部類に入るかと思う。ただ、現在よくある書籍とは違って、頁の紙の端が三方とも揃えられていないし、へりの厚みが薄く、紙のかたち自体も長方形からいささかずれた形をしている。要するに、一頁の大きさが手漉きの紙一枚の大きさだ。さらに、印刷されている活字は黒一色、頁のまんなかに印刷部分が集まっていて、その四方には、印刷部分より圧倒的に広い余白がある。

 つまり、その本はのちのち周囲を裁ち落として装丁しなおせるように配慮されているのだ。作った人は、その状態が完成品だとは全く思っていなかったのだろう。紙を切ってしまえば元の大きさには戻せない。別の人が自由に装丁しやすいように、紙の大きさを最大限残しておいたのだ。

 書いてあるものを大事にしているから、自然に装丁も配慮される。そういう自然体の丁寧さが、何とも好ましい。

 そして、自分自身の経験上、そういうものはずっと持っていて飽きがこない。


「この岸辺露伴が金やチヤホヤされるためにマンガを描いてると思っていたのかァーッ!!ぼくは、『読んでもらうため』にマンガを描いている! 『読んでもらうため』ただそれだけのためだ。単純なただひとつの理由だが、それ以外はどうでもいいのだ!」(岸辺露伴)



2011.09.17 Saturday 22:30
memo -
ひとりよがりのものさし
 
 『ひとりよがりのものさし』(坂田和實著)という本がある。もとは「芸術新潮」の連載の一つで、この本はそれを書籍化したものだ。目白に古道具屋を構える店主が、その独自の選択眼についてお気に入りの品への評をまじえながら語ってくれる。極端なところで言えば、電気製品か何かが入っていた段ボールの梱包材を取り出してきて、「モダニズム建築ぽい!」と拾い上げてしまう。「先入観は捨てよ。さらば開かれん!」という極めてシンプルで、しかしむずかしいことを繰り返し説いてくれる一冊。

 人によっては、古道具とかコットウというと、いい印象を持たないかもしれないけれど、百円ショップでコップを買うにしても、幾つか種類があったら自分の目に適う方を選ぶはず。好みなんてのは本来誰もがもっているもの。その好みを突きつめて、モノ選びを拘って拘って拘りまくっているのが、コットウに溺れる人たちなのです、多分。(お前はどうなんだと言われれば、うん、とりあえず、どなたか三億円の当たりくじをば)

 ふだん、いかにも<製品>といった感じのものに囲まれていると忘れてしまうけれど、ほんとうは厳密に言えば世界には<一点物>しかない。ただ、現代人のわれわれが物狂いのごとく極力似たようなものを作っているだけの話。仮に<製品>だったとしても、使いようによって古び方も人それぞれ。ジーパンのインディゴの褪せ方も体型やポケットに入れるものによってまちまち。褪せたあとの唯一無二のジーパンは、もはやハンドメイドの<一点物>。そんなジーパンをちょっといとおしく思っているとしたら、もしかしたらあなたにもコットウの素質があるのかも。

 そう考えると、言葉ってのはなんて笊な表現方法なことか。自分の思い浮かべている唯一無二のイメージの詳細も、言葉に変換した途端、摩滅してしまう。折角拾い上げてきたイメージの微妙な陰翳も、言葉には限界があるから伝わらない。

 そんなこと、あなたにはありませんか。



2011.09.16 Friday 21:27
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バガボンド
 
 『バガボンド』という漫画がある。『スラムダンク』の作者でもある井上雄彦の作品だ。吉川英治の小説『宮本武蔵』が原作だが、実際のストーリーの展開も語られ方も、原作のそれとは大きく異なる。武蔵のライバルである佐々木小次郎が聾唖者という設定で、その少年時代を詳細に描くという点は、もはや井上雄彦の全くの創作と言っていい。また、原作では語り手と登場人物に距たりがあるが、『バガボンド』は漫画という形式のためか、語り手が露にストーリーを進めることはない。俯瞰的に語らず、登場人物に語らせるのだ。


 『バガボンド』のなかで、私にとってもっとも印象的なのは、武蔵が吉岡一門の当主、吉岡清十郎と斬り合う場面。武蔵が清十郎の一太刀に合わせて、清十郎の肩から腰までを見事に斜めに斬り落としたとき、武蔵は全く刀を振った感触を覚えていなかった。お互いが斬り合っている刹那、意識から完全に自分の刀が消え去っていたのだ。そして、清十郎を斬ったあとに、武蔵は自身の手に刀が斬られていることに気づく。

 要するに、「無我」の境地だ。

 これは、きっと何にでも当てはまる。集中が極まった境地は、全く集中していない状態に近い。気づいたら終わっているのだ。

 そう、夏休みみたいなもんだね。



2011.09.15 Thursday 17:10
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ニヒリズム
 
山口優夢の第一句集『残像』が、2010年代の俳句の1つの解を与えるだろう。高柳をロマンチシズムの作家、御中をセンチメンタリズムの作家とするなら、山口はニヒリズムの作家だろう。

   戦争の次は花見のニュースなり
   台風や薬缶に頭蓋ほどの闇


細部(ディテール)の摩滅。残滓感の抒情。



2011.08.16 Tuesday 01:27
memo -
ロックン・オムレツ
 
タイトルだけでピンと来た方は、かなり詳しい方かと思う。

「ロックン・オムレツ」は、90年代後半にとある子供向け番組で流れていた曲で、森高千里の曲だ。数十人の女子が椅子とフライパンを使ってダンスしていたような場面が、おぼろげながら記憶として今も頭に残っている。

この曲の破壊力は、メロディや森高千里の声の良さもさることながら、歌詞のわかりやすさにある。とにかく歌詞がキャッチーなのだ。一文の単語数が少なく、具体性があり、なおかつ明瞭な対比が用いられている。これは大統領演説のライターが採用する演説文の手法でもある。

 うちのママはパパと仲良し
 ほんとめったに二人ケンカをしない
 そう秘訣はね 朝ご飯なの

 ママが作るオムレツを
 一度食べたら
 すきやきもしゃぶしゃぶも
 とてもとてもかなわない

 オムレツ上手は料理上手さ
 そして料理上手は愛情上手
 パパもママには愛され上手

 パパが食べるオムレツは
 どんな味かな
 チョコレート アイスクリーム
 甘い甘い愛の味

 ママが作るオムレツを
 毎朝食べる
 そんなパパ そんなパパ
 とてもとてもえらいパパ

 パパは今朝もまたオムレツ食べる
 そして毎朝毎朝オムレツ食べる
 ママは厳しい 愛情上手
 パパもなかなか 愛され上手

前半の歌詞のために、私などは「オムレツは幸せな家庭の象徴である」という概念をいつのまにか刷り込まれてしまっていた口である。ちなみに私の母親はオムレツが全く作れず、目玉焼ですらよく焦がしていた。また、今改めて後半部分を聴くと、味わいのある歌詞でもあると思った。しかも、「愛とは相互理解あってこそ」と看破する作中主体(この家庭の子供)は年齢に似合わず、なかなかニヒリスティックである。





2011.08.11 Thursday 21:19
memo -
オムレツを作ろうとしたけどスクランブルエッグになってしまったのを許せる人になってくれるのを待つか、それとも100%失敗せずにオムレツが作れる人になるのを待つか。

タイトルと全く関係ないですが、ふらんす堂の書評ブログに寄稿! →読む



2011.07.29 Friday 00:25
memo -
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